転んでもタダでは起きない

みかん狩り

午前休だったある日のこと。

シェアハウスの近所のカフェへ。

開店時間より少し早く着いたので、

太いパイプ(?)に寄りかかって座っていたら、

バランス崩して後ろにコケた。

そしたら下にあったコンクリートの端で、
背中をゴリゴリゴリっと擦ってしまった。

恐る恐る手を後ろにまわしスマホで写真を撮って見てみると、
想像以上に流血!!

流れた血なのか、
広い範囲で擦りむけてるのかはわからない。
そっと手で触って見ると、
ヌルッとした感触…

「えっ肉抉れてる…!?」

そう焦ったら瞬間血の気が引いて、
気が遠くなった。
比喩ではなく本当に。
クラクラして、
気持ち悪くなって、
立っていられなくなった。
しばらくうずくまっていた。

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人間って不思議なもので、
実際の傷の痛みより、
致命傷かもしれないっていう曖昧な想像で、
こんなにもからだにダメージを受けられるらしい。

心とからだは本当に密接に繋がっているんだなぁと、

ある種の感動すら覚えた。

マイナスができるなら、

プラスもできるということだ!

人間の未知の可能性にワクワクする。

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『不能犯』というマンガがある。
「思い込みによって人をショック死においやる」という、
法で裁けない殺人犯の物語なのだけれど、
確かに思い込みで人は死ぬかもしれないと思った。
意思の力ってすごい。

前向きに使おう。

よく考えたら、
コンクリートに血もついてない。

気を取り直し、
カフェの奥さまに見てもらったら、
「痛そうだけど救急車というほどではない」とわかりホッと一息。

しばらく横にさせていただき、
気持ち悪さと傷の痛みは収まってゆく。
おいしいおいしいシラス丼を食べて、
完全に復活!

そして午後からミカンの収穫作業をし、
ハッとした。

普段山中で作業をしていて、
真後ろが崖だったりとか、
どう見ても危ない場所では気を付けている。
でも、傾斜が緩い場所では油断していた。一度足を踏みしめて、
「このあたりは足場がしっかりしている」とか。
これじゃ危ないかもしれない。

そうだ。
最近慣れてきて、
調子に乗っているかもしれない。

作業に夢中になって、
ついついよく足元を確認せず、
一歩踏み出してしまうこともある。

このリズム感を崩さすスピーディーに動きたいとか思ってしまうことがある。

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けど町ならまだしも、
この山の段々畑でコケたら、
やっぱり危ない。
石を落として下に人が居たら大事だし、
滑って下まで転げ落ちるかもしれない。

今日あそこで変なコケ方したのは、
自分が転ぶかもしれないなんて微塵も思っていなかったからだ。
だからバランスを崩した時に、
慌てて意味の無いところを掴んでしまった。
あの時こう反応できていれば、
全然ケガするような場所じゃなかったのになー。

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だから山では、
見えない命綱を張っておこう。

ここでもし滑ったらどの枝を掴むとか、
頭の中で受け身の取り方を決めておく。
一歩ごとに。
受け身のとれないところには立たない。

いちいち面倒ではあるけど、
数秒あればできることだし、
今度から徹底しよう。
そうしよう。

今日転んだのは、
山を舐めるなよというメッセージかもしれない。笑

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基本的に出来事というものは、
陰と陽の二面性を持っていると思っている。
だから全ての出来事は、
宇宙からのプレゼントなんだって。

一見ネガティブな出来事が起きた時、
その出来事のポジティブな面はどこにあるかなと探す。
むしろ起きてよかったなと、
その出来事に感謝できるようにするには、
どういう角度からものを見たらいいだろうと考える。

コケてケガしたくらいでは小さなことだけど、
日々どんなことでも、
なるべく。

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悪いことやイヤなことが起きた時…
人は不満をついついこぼしたくなる。
でもきっとそういう思考はからだに毒だし、
聞かされる方もちょっぴり気が滅入る。
タバコの副流煙みたいな感じ。

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人間のストレスは、
やっぱり人間関係のすれ違いが多いのかもしれない。
でももし自分のキモチが正論だったとしても、
周りから見たら違うかもしれない。
そもそも完璧ではない人間同士の付き合い、
お互い様のはずだ。
相手はいちいち言わないで、
流してくれているのかもしれない。

そんな想像力や思いやりを、
大事にしてゆきたい。

もちろん完璧になんてムリだけど、
時々思い出して、
そういう器を作ってゆきたいなぁ。

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コケたことで考えごとがこんなところにまで行き着いた。笑

キズナでした。

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