今朝出会ったミカンたちは、
とても長生きしていそうな、
立派な立派な木だった。
写真では伝わらないけれど、
ただ幹が太いというわけではなくって、
神々しさみたいなものを感じた。
とても静かで落ち着いていて、
優しくあたたかみのある気が漂う。
テキパキ働いているはずなのに、
その気を浴びているからか、
まるで温泉に浸かっているような心地。
ミカン浴!
これだけの貫禄は若い木には無い。
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ところで、
「善悪というのは本当は無いんだ」
という考え方がある。
悪いことがあるのではなく、
「悪いと感じる自分」がいるだけ。
嫌なことが起きたのではなく、
「不満を感じやすい自分」がいるだけ。
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誰も同じように世界を見ていなくて、
自分の好きなように思い込んでいる。
自分の内側にあるものが、
現実として映し出される。
「でも他人は他人として生きているから、自分が生み出したものではないんじゃ…」
最初はそう思った。
でも…、
私とあの人が関わっているのは、
どこかで同じ感覚を持っているから。
私がその場所に出会ったのは、
その場所に惹かれたから。
そう考えると、
自分の現実は自分の中身で構成されていると、思えなくもない。
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闇があるから光が存在できる。
どちらか一方を否定することは、
存在の否定になる。
だから良いも悪いもないんだ。
そう言ってしまうと、
「じゃあ殺人を肯定するのか」なんて話になってややこしいけど。
けど例えばライオンが生きるためにシマウマを狩るのは自然界のフツウ。
ただ生きたいという本能に従って、
自然に生きているだけ。
人間も同じ動物なのに、
もしも同じようにすると、
急にすごく悪く見えるのは、
よく考えたら少し不思議かもしれない。
人間ってそんなに偉いのか?
それも、
どの視点から見るかで変わってくる。
よくもわるくも人間だけが、
色々と考えこんでいるなあ。
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「でも”よりよい世の中”のために何をすべきか考えないことは、社会問題からの現実逃避じゃないか?」
「全てを肯定してしまったら人生の意味や目標は?」
そんなことで最近少し悩んでいた。
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でもこのミカンは、
善悪とか、
生きる意味や目標とか、
そんなこと考えてないだろうな。
全て受け入れて、
自然に身を委ねて、
ただ伸び伸びと生きているんだろうなぁ。
でもとても美しくて、清々しい。
そのミカンの一生に意味が無いなんて言えるのかな。
そもそも「意味があるかないか」っていう尺度なんて、
重要じゃないのかもしれない。
意味付け、価値付け、善悪を決めたいのは…
「いいことやすごいことをしている自分を誉めてほしい」
という欲からきているのかもしれないなあ。
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そう思ったらふと、
思い出した曲がある。
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旅立ちの時~Asian Dream Song~
作詞:ドリアン助川
作曲:久石譲
(一部抜粋)
争いの日々を乗り越えて
青空に歌う時
かけがえのない命のはてに
名もない花を咲かそう
今ここに生きる者よ
旅立ちの勇気を
虹色の彼方に
語りかけるこの時
微笑みながらふりむかずに
夢をつかむ者たちよ
君だけの花を咲かせよう
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中学生の頃に歌った曲なのに、
ああこういうことなのかなと、
別の捉え方をしたら…
今ものすごく染みる。
泣ける。
最近少し心がさ迷いでていたけど、
今この瞬間は、
どこまでも穏やかで、
自由だ。
木はいつも、
持ち前の包容力で、
そういうことを教えてくれる。
「自由」という言葉の広がりを、
こんなにまで大きく、
そして優しく、
感じられたのは初めて。
ミカン援農来て良かったなあ。
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キズナでした。
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