JOURNAL|Case: Yuna & Haruna & Maya
日本における「みかんの発祥地」であり、みかんの一大産地でもある和歌山県下津町。沿岸部の山々を切り開いて農園が築かれているため、毎年11〜12月頃の収穫期には、海の青色とみかんの橙色が美しいコントラストを見せます。
冬は、みかん農家の繁忙期。人手不足の課題を解決しようと、全国の若者と下津町のみかん農家をつなぐプロジェクト「みかん援農」を2017年にスタートしました。2024年は参加者数が過去最多の76名! 援農者の思いを知るため、3組の農園を訪問しました。
2組目は山本 賢児さんが代表を務める「山喜農園」。海が見える山喜農園で援農する高澤 結那さん、宮城 春奈さん、倉内 麻弥さんにインタビューしました。
訪れたのは昼食どき。背の高い小屋のなかで最初に迎えてくれたのは、沖縄から参加している結那さん23歳です。2023年からのリピーターですが、参加の動機は何でしたか?
結那さん:今、大学4年生なんですけど「いつか自分でシェアハウスを運営してみたい」と思って、住み込みができるバイト先を探していたときにInstagramで「みかん援農」を見つけました。日本各地から集まった人たちが一緒に暮らすのってどんな感じなんだろうと気になって。そしたら、めっちゃ楽しかった! なので、今年も参加しました。
人と人が生活を共にすることで生まれるつながりに興味を持ち、これまで各地のゲストハウスで働いたこともあったそう。今年は、女性6名のシェアハウスに滞在しています。
結那さん:勤務先の農園が同じ人もいれば違う人もいるから、全員揃ってのご飯は難しいけど、タイミングが合った3〜4人とかで一緒に鍋したりしますね。みんなで別のシェアハウスに遊びに行くこともあって、シェアハウス同士の交流があるのも楽しいです。
「みかん援農」の1年目が農業デビューだった結那さん。シェアハウスだけでなく、農業のなかにも、他者との共生の面白さを見出しているようです。
結那さん:めっちゃ面白いです。やったことがない経験ができるのもいいですし、休憩中の他愛のない会話も好き。バックグラウンドの違う人たちと働いて暮らして「こういう生き方もあるんだな」と知ったことでオープンマインドになれたのは、大きな変化ですね。
山喜農園の賢児さんが深く相槌を打ちながら「確かにいろんな人がいるもんな。今まで自分は変わりもんやって思ってたけど、世の中は広い!自分が普通に思えた!なんて話す人も結構いたなぁ」と話していると、用事に出ていた春奈さんと麻弥さんが戻ってきました。
それぞれ手づくりしたお弁当を食べ終え、いざ午後の部へ。みかんの木々を縫うように、みんなで斜面を上ります。振り返ると、綺麗な海が広がっていました。さっきまでいた小屋の屋根が足元に小さく見えるほどの高さです。
専用のハサミで茎を切って実を収穫しながら「茎の切り口からも柑橘のいい匂いがするんですよ」と楽しげに話してくれたのは、東京出身の春奈さん29歳です。
春奈さんは、北海道から沖縄まで日本各地で約2年間リゾートバイトをした経験の持ち主。各勤務先で出会う人たちに「みかん援農」の参加者が多かったため、数年前から「みかん援農」の存在を知っていたといいます。
春奈さん:もともと農業に興味がありました。将来は東京じゃなくて地方で暮らしたいと思っているので、各地でリゾートバイトをしたのも移住の候補地探しを兼ねてでした。私にとって、農家さんと関わりながら住み込みで働ける「みかん援農」はとても魅力的。タイミングさえあえば参加したい!とずっと思っていたんです。今年ようやく参加できました。
小学生の頃、給食で食べたみかんがあまりにも美味しかったことから、種を持ち帰ってベランダの鉢植えで育てたことがあり、農業のなかでも特にみかんは思い出深いそうです。
春奈さん:移住の候補地を探して、これまでいろんな地域を見てきたけど、下津町は「みかん援農」をきっかけに移住や就農した人がすでにいるから、移住のイメージがつきやすい。モデルケースがあると、家を探すときも参考になります。それに下津町は「みかん援農」があるから、地域の中と外の人のつながりが濃いのもいいですよね。
麻弥さんは、千葉から参加している30歳。数年前に自家栽培をはじめたことをきっかけに農業に関心を持つようになりました。それ以来、柿農家で摘蕾や収穫をしたり、米農家で稲刈り後の小田掛けをしたりと、さまざまな農業のお手伝いをしてきたそうです。
麻弥さん:農業バイトで知り合った子たちが「冬はみかん狩りで和歌山に行くよ」と話していたのをふと思い出して。インスタで調べて見つけたのが「みかん援農」でした。みかんがどんな場所で育ってどうやって収穫されるのか、ただ食べるだけで終わらない、届くまでの過程に興味があったので参加しました。
「みかん援農」の初日、青い海に映える一面のみかん畑を目の当たりにして「この景色を見ることができただけでも参加した意味があった!」と感動したといいます。
麻弥さん:仕事を通じて、農家さんの言葉や行動から、美味しいみかんづくりに対する情熱やこだわりがすごく伝わってきます。間近でその思いに触れられることが、自分のやりがいにつながって楽しいので、毎日あっという間に時間が過ぎてしまいますね。
1〜2カ月という短期間ながら、農家さんとだけでなく、援農者同士が仲良くなるスピードも速いそう。バックグラウンドは多様でも「みかん援農」に興味を持った時点で感性が近く、共通の仕事と暮らしから、さらに距離が縮まりやすいのかもしれません。
麻弥さん:ここに来なければ出会えなかった人たちばかり。なのに、昔からの友人や家族みたいな居心地のよさと安心感があって。この出会いは大きな財産です。豊かな関係性のなかで自分と向き合うことで、新鮮な価値観を吸収できたり、自分の芯にある気持ちを再確認できたりする。そうやってパワーアップした自分との出会いにもワクワクします。
結那さん・春奈さん・麻弥さんは口を揃えて、山喜農園の賢児さんが自分たちとは異なる視点で話をしてくれるのが刺激になってありがたいと話します。
賢児さん:援農の子たちは、日本や世界の各地をめぐって生きる「風の人」の性質が強い。逆に、僕ら農家は、同じ場所に根を張って生きる「土の人」の代表例。せっかくこうやって関われたんやから、1つの場所で1つの仕事を長く続ける「土」の大切さを伝えられたらいいなと思って。それで、援農の子たちの人生について話したりもするんよね。
はにかんだ笑顔で「嫁さんには『ただのお節介』って言われるんやけどね」と言葉を添える賢児さん。援農期間中、農家さんと援農者さんは家族より長い時間を共に過ごします。そのため賢児さんの場合、一人ひとりの人生にまで寄り添って語らうことがよくあるそうです。
賢児さん:「風」を生きる子に「土」の生き方の良さを話したところで、すぐには理解できやんやろうし、自分の生き方を否定されてるんかなって腹が立つかもしれん。それでも、数年後に「あのときの言葉がプラスに効いてるな」って思ってもらえたらええわな。
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