蜜柑援農

JOURNAL / 「その本領が発揮される環境を」 樹上完熟で販路を開拓する農家

JOURNAL|Case: Kohei Ibe

「その本領が発揮される環境を」 樹上完熟で販路を開拓する農家

和歌山県の北西沿岸部に位置する海南市下津町。みかんの生産量全国一を誇る和歌山県内でも屈指のみかんの産地です。しかし近年は少子高齢化により、とりわけ11-12月の収穫繁忙期は人手不足。そんな課題を抱える下津町のみかん農家と全国の若者をつなごうと2017年に「みかん援農」がはじまりました。

援農に関わる農家さんと援農者さんは「みかん援農」やみかん農家の今をどう捉えているのか?を知るため、それぞれにお話を伺うこのインタビュー。6組目は、井辺農園を運営する井辺 耕平さんにお話を伺いました。

1977年、下津町生まれの耕平さん。29歳の時に代々続くみかん農園を継ぎました。以前は和歌山市の住宅関係の企業に勤めていたそうです。下津町では収穫したみかんを土蔵に貯蔵して熟す伝統技術「蔵出しみかん」が有名ですが、井辺農園では樹上完熟に注力し、全国の卸売市場などで販路を開拓しています。


ー 「みかん援農」に参加したきっかけは何でしたか?

耕平さん:大谷くんが今やってる「みかん援農」には「援農キャラバン」っていう前身があって、それに関わってた農家さんから紹介してもらったのが、援農を知ったきっかけでした。その流れで「みかん援農」にも初期の頃からお世話になってるね。

ー 援農に訪れる人たちとの思い出深いエピソードはありますか?

耕平さん:援農1年目は独身だった男の子が、2年目には「結婚しました。この子が嫁さんです」って夫婦で手伝いに来てくれたことがあって、嬉しかったですね。

援農者の数だけ個性と生き方があって、それぞれの暮らしぶりや変化を聞けるっていうのはいいもんです。田舎で暮らしていたら刺激が少ないから考え方が固定されがちですけど、そうやって日常にはない新鮮な価値観に触れられるのは、自分にとってプラスになります。

この土地で生まれ育った僕にとって、みかんの石積みの段々畑がある風景は日常。だけど、はじめてここに来る子たちは、まず景色に驚くことが多い。彼らの姿から、そういう感覚は大事にせなあかんなって思わされます。この景色は地域にとってほんま財産です。

ー 2023年度の「みかん援農」では、連携先の紹介を受けてカンボジアの人たちにも援農に参加してもらっています。井辺農園では彼らはどんな感じでしょうか?

耕平さん:受け入れる前は言葉の問題だけ少し心配してたんやけど、みかんの収穫の仕事自体はそこまで難しくないから、ある程度の日本語が理解できれば大丈夫やし、とにかく真面目で丁寧な人やったらいいなとだけ思ってたんです。カンボジアの彼らは、まさにその通り。実直に一生懸命やってくれてるから全然問題なく助かってます。

彼ら、休みの日は海で釣りしてるみたい。「じゃあ大物が釣れる釣り竿、貸しちゃあよ」って先日渡して使い方を教えてあげたんやけど。晩御飯のおかずが増えてたらええね。

ー 収穫繁忙期に限らず、やはり担い手不足は農家の課題でしょうか?

耕平さん:そうですね。下津町のみかん農家は、70-80代に差し掛かろうとする人が中心。標高が高かったり急傾斜になるほど、作業的な不便さから耕作放棄地が増えてくる。昔やったら何百万円もした土地が今は半額以下。辞める農園の畑を継ぐことは産地の維持にもつながるし、経営的なチャンスやとも思うから、うちはそういう畑を借りたり買ったりしています。

甘くて美味しいみかんって、標高がある程度高くて陽当たりのいい場所にできるんですよ。標高150m以上が理想かな。このあたりは200-250mくらいの高さで、風の流れがあって土壌も良質で、美味しいみかんをつくれる条件が揃ってるんです。

ー 担い手不足以外にも、みかん農家の課題はありますか?

耕平さん:市場におけるみかんの価格の安さから「再生産価格(農業にかかる費用を農業の売上だけでまかなえる状況)」に達しづらいことが課題です。国の方針は生産の効率化と収量を追い求める傾向にあるし、市場では見た目の綺麗さが重視されがち。お客さんが最も求めていることは「美味しさ」のはずやのに、そこに専念しづらい状況にあります。

一個食べて「もう一個食べたい!」と思わず手が出るような、夢中になる美味しいみかんをつくれば、その評価がきっと単価に跳ね返ってくるはず。単価が上がれば、人件費を上げてもっと人を雇えるようになるし、農家になりたいって若い子も増えると思います。

みかんは全国各地の県で栽培されているけど、美味しい完熟みかんを栽培できるって意味では、この下津町はきっとトップクラスに入るくらいええ環境です。石積みの段々畑やから、平地と違って効率は悪い。でも、美味しいみかんをつくるのには最適。均一化された流れにとらわれず、この下津町の土地が持つ特性を存分に活かしていけたらと思います。

ー 井辺農園では具体的にどういったことを意識していますか?

耕平さん:うちは、樹上完熟の採れたてを出荷するようにしているんです。昔は下津町のみかんは酸味が強かったから、甘みが増すように貯蔵して熟す必要がありました。だけど、最近は温暖化が進んだことで、下津町の気候でも樹上で甘く熟したみかんを栽培できるようになってきました。

全国的に「有田みかん」の知名度は高いけど、美味しいみかんをつくる環境にあまり差はなくて。長年の位置関係から「有田みかん」が先行して市場に並んで、その後に「蔵出しみかん」が出回る傾向にある。でも、本当なら早めに販路を確保した方が単価も維持しやすい。そういう意味でも、積極的に年内から樹上完熟を販売するように心掛けています。

ー 樹上完熟の収穫のタイミングは、どうやって見極めるんですか?

耕平さん:みかんの木、1本1本の実を食べるんですよ。今日は100本以上の木をチェックしてて。ここまでやる農家は、少ないんとちゃうかな。食べてくれるお客さまのことを想うと、これは必要なことやと僕は思っています。

ー 最後に、美味しいみかんをつくるため、大事にしている思いをお聞かせください。

耕平さん:みかん農園って、企業経営と一緒でね、美味しいみかんをつくるための経営方針を定めて、みかんの木という従業員の存在があって、その経営方針を従業員にきっちり周知することが大事やと思うんです。

何も計画せずに木を植えて、美味しいみかんが偶然できる奇跡を待つんじゃなくて、気候・地質・標高・日照時間・風の流れ・降水量とかを勘案して、その場所に適した品種の木を植えて育てる。美味しいみかんをつくるのは、人じゃない。生産してくれるのは木です。人間は、その本領が最大限に発揮される環境を整える役割なんですよ。

農園を継いで、多くの人にいろんなことを教わりながら僕なりに勉強して、環境や時代の変化を読みながら木を植え替えてきました。うちの経営は、飛行機に例えるなら、まだまだ滑走路で助走してる段階です。ようやく軌道に乗れそうなルートだけ見えてきたかな。5〜10年後、我が家の子どもたちが大学生になる頃には上昇気流に乗れたらいいなと、日々の努力を積み重ねているところです。

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