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400年以上の歴史を誇る、和歌山県屈指のみかんの一大産地・海南市下津町。この地を舞台とする「みかん援農」は、少子高齢化により11-12月の収穫期の人手不足に悩むみかん農家さんと全国の若者をつなぐプロジェクトです。
援農に関わる農家さんと援農者さん、それぞれに体験談を尋ねるこのインタビュー。4組目は、先祖代々続く広大な農園を親子二世代で運営する前山農園の父・裕志さん(63)、長男・和輝さん(33)、次男・明日規さん(31)にお話を伺いました。
前山農園は有機肥料にこだわっています。みかんだけでなく、砂糖や添加物を一切使用しない果汁100%のみかんジュースも評判。最近はさらなる6次産業化を目指し、クラフトビールづくりにも挑戦しているそうです。
明日規さん:4年前から「みかん援農」にお世話になってるんですけど、それまではハローワークで求人してたんです。でも、仕事がはじまってから時給を上げてくれと言って思い通りにならないからと急に辞める人がいたり、出勤予定日がどんどん後倒しになって結局ドタキャンになった人がいたりで、これはあかん!って思って。
そういう出来事が、ハローワークから「みかん援農」に切り替える決め手になりました。「みかん援農」でも急なキャンセルはあるやろうけど、新しい応募者を充ててくれたり、他の農家と相談して調整してくれたり、空いた枠をカバーしようと動いてくれてるし。
裕志さん:援農の子たちは、総じてええ子。それに器用な子が多い気がするね。
明日規さん:「よかったらニックネームで呼んでください」って最初に自己紹介してくれる子が多いから、ニックネームで呼ぶことが多いですね。シャイだった子も少しずつ慣れてきて。一緒にクラフトビールづくりしようって話しているリピーターの子もいます。
裕志さん:そうそう、その子は明日で今年の援農が終わりやから寂しくてね。リピーターだから勝手がわかってて、こっちもありがたい。段取りが良くて、みかんが好きな子で。「来年も来てよ」って言ったら、早速スケジュール調整してくれてるみたいなんよ。
裕志さん:愛媛で5年ほどみかんの援農経験がある女の子がいて、その子も上手にやってるわ。ホド(収穫時の枝の切断部分)を高く切り過ぎたら、運んでいる間に他のみかんを傷付けて、そこから腐ってしまうんやけど、あの子が採ったみかんはどれもホドが低くて綺麗。愛媛とは収穫用のハサミが違うけど、経験を活かしてうまくやってくれてるわ。
援農の子たちには毎年使ったテボ(収穫のカゴ)に名前書いてもらうことにしてるんよ。こうやって内側にサインが年々増えていく。みんな来年もまた来てくれたら嬉しいね。
明日規さん:僕らのいる地区はたまたま後継者がいる農園がわりと多いので、他の地区とは課題感がちょっと違うかもしれないですね。後継者がいる農園が退職される農園の畑を引き継ぐこともあるから、今のところ耕作放棄地はあまりない状態です。
ただ、手間のかかる畑は経営的にリスクが高いので、今後課題になりそうですね。例えば急斜面の上で車道から遠くて、他の人の農園を通らないと辿り着けないところとか。
裕志さん:うちは先に弟の明日規が就農して、その後に兄の和輝も看護師を辞めて、二人とも継いでくれることになって。うちの畑は平均的な規模の二倍くらいあるから助かってます。年いって僕があかんようになってから継ぐと、細かいところまで技術を教えることができんから、こうやって今、親子二世代でやれるんはありがたいね。
和輝さん:昔から収穫繁忙期は家業を手伝ってたんですけど、実際一年通してやってみると、みかん農家ってこんなに大変なんやって気付かされました。どの職業も苦労は付きものだとは思うんですけど、自然相手だったり自営業ならではだったり、前職とはまた違った大変さがあると実感しているところです。
だけど、楽しいことも結構多いんですよ。一年通してようやく出来上がったものを食べて喜んでくれる人がいる。大変さの分だけ誰かに笑顔を届けられるのは、想像以上に嬉しいです。「美味しかったから、また来年も注文するよ」と言ってくれる人がたくさんいるから、すごく励みになりますね。
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