蜜柑援農

JOURNAL / 「今年もご苦労さん、また来年」 9代続くみかん農家のご夫婦

JOURNAL|Case: Sadao & Sachiko Okumura

「今年もご苦労さん、また来年」 9代続くみかん農家のご夫婦

全国の若者たちと下津町のみかん農家さんをつなぐ「みかん援農」。ありがたいことに、2017年に活動をスタートして以来、毎年、相思相愛の関係性が育まれています。

具体的にどういったエピソードが生まれているのか?を伝えるため、産地の課題や解決策も共に探りながら、双方の体験談を伺うインタビューを始めることにしました。

1組目は、2017年から援農者を迎え入れている奥村農園の定雄さんと幸子さんです。1948年に下津町の農家のもとで生まれた定雄さんは、18歳の時に家業に加わり、9代目として継業しました。約45年前、4歳年下で大阪生まれの幸子さんと結婚。長年、夫婦二人三脚で山腹に広がるみかん農園を守り続けています。

農産物の選別・出荷の方法には、個人で選別し直接市場と取引をする「個選」と、組合で定めた基準で識別し共同で出荷する「共選」とがあります。奥村農園は、地域単位で運営されている組合に加盟。品質にこだわったみかんを出荷しています。


ー どういった経緯で「みかん援農」に関わったのですか?

定雄さん:11月12月の収穫期の人手不足が以前から課題やったんよ。これまでは知り合いや、組合の紹介、ハローワークなんかで人手を募集したこともあった。やけど、40年ほど手伝いにきてくれてた人たちは高齢化で80歳近くになって来れんようなって。

幸子さん:組合の紹介で若い漁師さんが来てくれたこともあったんやけど、天候の具合で漁が休みになる時しか来れんから、来てほしい時に必ず来てくれるとは限らんし。ハローワークでは日銭目当ての人もいて、あまり相性がよくなかったりしたんよね。

定雄さん:うちらも高齢やから、みかんの運搬とかは若い子の力が必要。毎年なんとか人手を探して、やりくりしてたんやけど、なかなか安定的に来てもらうのが難しくてな。それで「みかん援農」にお世話になるようになったんよ。

ー 「みかん援農」で来られた方々の印象はどうですか?

定雄さん:毎年ええ子ばっかりやな。どの子もみんな個性的で、よう働いてくれてる。最初はハサミの握り方とか脚立の乗り方を教えるところからはじまるんやけど、3日ほど経ったら、みかんの木にスイスイ登れるようになる子も多いわ。

幸子さん:そうそう、農業はやったことないですって子も、すぐコツを覚えてね。効率のいい片手取りっていう収穫方法があるんやけど、初日から片手取りに挑んで、すぐ慣れる子も多くて。なんでも吸収できる若さと、何よりきっとやる気があるからやね。

定雄さん:援農で来てくれる子のなかには、海外経験のある子がたくさんいて、うちらは海外に行ったことがないさけ、みんなからは旅の話ばっかり聞いてるんよ。アマゾン川をイカダでくだったっていう冒険家の男の子の話は面白かったな。

幸子さん:去年来てくれてた大学4年生の子は、屋久島好きが高じて山岳ガイドとして就職したみたいで、今年も休みの日に少しだけでも援農に来たいってLINEくれてたわ。あの子もええ子やった。屋久島の話もいっぱい聞かせてもらったね。

ー そういった会話はどのタイミングでされていますか?

定雄さん:うちでは1時間の昼ごはん休憩と、その他にも午前と午後に20分くらいの小休憩を取ってて、そういう時に会話してる。仕事の段取り次第で多少時間は変わるけど、みんなで話が盛り上がって、つい半時間くらいしゃべってる時もあったな。

幸子さん:休憩中は、畑の中でコーヒーとお菓子を出して食べたり飲んだりしながら、いつもみんなでワイワイしてるんよ。ちょっとしたパンやケーキ、おまんじゅう、お餅とか、あるもん簡単に持ってきてね。私らにとってもいい一服になって楽しいんよ。

うちで大根や白菜、小松菜とかを家庭菜園してるんやけど、二人では食べきれやんし、援農の子たちは食事を自炊してるでしょう。食材の足しになったらなぁと思って、畑の好きな野菜を持って帰ってええよって言ってあげたんよ。そしたら「昨日の夜はシェアハウスのみんなで鍋したよ」って嬉しそうに話してくれたりしてね。

定雄さん:去年はその野菜を使って餃子とか麻婆豆腐をつくって「晩御飯に間に合いますか?」ってわざわざうちまで届けてくれた子もいたな。昼ごはんの時は、近所の農園で援農やってる子たちも一緒になって、みんなで賑やかに食事したりもしたんよ。若い子たちからいろんな話が聞けて、うちらも楽しいんよな。

ー 他にも思い出深い具体的なエピソードはありますか?

定雄さん:収穫作業が終わってから、うちら二人は貯蔵作業もやってて。下津町の伝統的な貯蔵技法で「蔵出しみかん」っていうんやけど。コンテナいっぱいに盛ったみかんを、土壁の蔵の中にある10段の木箱に1段ずつ均して並べて積み上げていくんよ。

幸子さん:それで「残業として貯蔵作業も手伝ってもらえんかな」って援農の子たちに相談したら「家に帰ってもすることないし、全然いいよ!」って快く引き受けてくれて。

定雄さん:大助かりよ。二人でやってたら17時半頃から22時くらいまでかかる。それがたったの1時間で終わるんやから。以前はうちらだけで積めてたんやけど、だんだん体力的に難しくなってきた。若い子たちはシュッて軽々積むから頼もしいな。

幸子さん:蔵の中でみんなでいろいろ話しながら作業してね。初年度は援農で来てくれた男の子と私たち、三人きりやったから、終盤はその子も疲れてきて。そしたら、その子が「やる気をあげるために音楽がほしい!」って言ってね。音楽が好きな子やったから。

定雄さん:「じゃあ、うちにある200曲くらい入ったラジカセを持ってきちゃる。洋楽やけどええかい」って聞いたら「それがいい!」って。蔵の中で大音量でバンバカバンバカと洋楽かけてたら「調子が出てきた!」って喜んでくれて。そんなこともあったな。

ー お二人にとって、みかん農家として働く“やりがい”は何ですか?

定雄さん:みかんの繁忙期は11月12月やけど、そこだけが忙しいわけやない。それ以降も貯蔵庫に入れて、選別作業をして、農薬散布して、除草剤を撒いて。害獣対策したり、雨量の少ない時期は周囲の農家らと当番制で水撒いたり。

少しずつ機械化が始まって、運搬用のモノレールができたり、電動の一輪車や選定バサミが出てきて、昔よりはだんだん楽になった。それでも、起伏のある土地でする作業やから平地より大変やし、みかんは一年中手がかかる。ほっとく時期がない。

やけど、そういう一つ一つの作業を終えていくなかに達成感があるね。今日もちょうど「秋肥(あきごえ)」っていう肥料を撒く作業を終えたとこなんよ。

幸子さん:収穫を終えた木、1本1本に「今年もご苦労さん。また来年よろしく」って、一緒にがんばってくれた御礼をするように肥料をあげるんよ。毎年、春と秋にそうやって肥料をあげて、また美味しい実を付けてもらうようにしててね。

あと、農業って会社員と違って、時間や人に縛られない。土日とかの固定の休みはないけど、雨が降ったらお休み。疲れたなと思ったら、自分たちのタイミングで、のどかな自然に囲まれながらお茶とお菓子と楽しい会話で一服できる。そういう自由は大きいね。

定雄さん:そうそう、前に甥っ子の結婚式で東京に行ったんやけど、まちなかは人混みと車と高層ビルで、雑音と視界を遮るものばっかり。移動するだけでも一苦労。こっちに帰ってきた時はほっとしたね。自然の音しかなくて、空が広くて、空気が澄んでて。

幸子さん:それに、うちは家族経営だから、家族がいつも一緒なのもいいところ。いつもそばに家族がいて、朝・昼・晩、おじいちゃんもおばあちゃんも、みんなで一緒に食事ができるのは、農家っていう働き方の好きなところかな。

ー 最後に、今後の展望について教えてください。

定雄さん:うちは息子が2人いるんやけど、2人とも県外で別の仕事に就いてるんよ。この女良(めら)地区には今18戸のみかん農家がおるけど、うちみたいに後継ぎが課題っていう家が多い。このままやと、10年後には4戸くらいに減ってまうやろな。

仲間内には「5年後、80歳になったら辞めちゃる」って言って「絶対辞めんやろ」なんて言われてるんやけどね。体力的に厳しくなってくなかで、仮に息子らが定年退職後に継ぐとしても、それまで10年20年と農園を放っておくわけにもいかん。いつか「みかん援農」をきっかけに継いでくれる良い人が見つかったらええんやけどね。

幸子さん:以前「みかん援農」で来てくれたカップルの子たちは、今はもう結婚して1歳半の子どもがいるんやけど、奥さんから「私は育児があるから難しいけど、夫は引き続き参加します。またいつか子どもも参加させたいです!」って嬉しい連絡もらってね。

人間と人間のやりとりやから、私たち2人とも、どの縁も一つ残らず覚えてる。これからも、そうやって良い縁が増えたり永く続いていったら嬉しいね。

JOURNAL TOPへ戻る

Related posts

JOURNAL|Case: Kohei Ibe

「その本領が発揮される環境を」 樹上完熟で販路を開拓する農家

JOURNAL|Case: Takuma & Ibuki

「これからの選択肢に出会えた」 シェアハウスに同居する援農男子

JOURNAL|Case: Maeyama Familiy

「大変さの分だけ笑顔を届けて」 親子二世代で運営するみかん農園

JOURNAL|Case: Nagisa & Masami & Namiko

「日常に“ありがとう”が増えた」 シェアハウスに同居する援農女子

JOURNAL|Case: Rico Asatsu & Asaka Matsushita

「海外より価値観が広がるかも」 次のステップに進んだ援農卒業生

JOURNAL|Case: Sadao & Sachiko Okumura

「今年もご苦労さん、また来年」 9代続くみかん農家のご夫婦

TOPへ戻る

© en-nou.net